毎日が輝くためにできること

人間、顏じゃないよ、というけど、実際には、特に日本の男性は若い女性でかわいい子が好き。勿論、私も見た目がキレイな女性は好きだ。深キョンの話をしだしたら止まらない。透明感があって、可愛いくて笑顔も自然で・・。そんな人を目の前にすると、見とれちゃうし、すっごくほめてしまう。たぶん、本人以上に熱心に「うる」。いろんな人を見ているうちに、自分は嫉妬で苦しむことはなくなってきたけど、もっと世間には、あなたのスポットライトが照らしていない美しい人いるよ、その人たちを見てよ、とたまに言いたくなるのだ。

美しい女性とは

帽子をかぶった女性
端的に言うなら、「美しく見える人」がいる。女優さんのように顔立ちが整っているわけじゃないけど、「こんな綺麗な人、初めてみた」最近、そう思う人に出逢った。それがなぜそう思ったのか、考えてもわからない。きっと、その人のオーラだったり、内面の魅力だったりが体に収まりきらずに出てしまうに違いない、とさえ思える。それは、自分も展示の一部になったようなお化粧品売り場のお姉さんより、きらきらに囲まれた宝石売り場のお姉さんよりも、ずっとその人の後を追って見ていたくなるような気品ある美しさだ。
そんな想像を巡らせながら、ひょっとしたら、顏に自信がなくたって、彼女のようになれるのかもしれない、そんなわくわくした気持ちも持ててしまうのだった。
別に、今現在顏で相当な苦労をしているわけではないけど、自分のどの部分が失われても、それでも輝いているものがほしいと思う。そのためには何をしたらいいのだろう。きっと考えても見つからなくて、ある日ふと、気づくものなのかもしれない。
あなたには、あなたの人生に必要なものが全て揃っているのだと、何かで読んだことがある。だからなんでもできるよ、と。確かに逆に考えたら、自分に必要ないものをもって生まれようとしないかもしれないし、人生の通過点でもそれらは捨て去ってきているのかもしれない。欲しいものだけを選び取りながら、今の自分があるのだ。

普段は気付かないけれど

たんぽぽ
たぶん、そんなことを思いもしないで毎日を過ごしてきている。こんなにも長い間、大切なことを、ひょっとしたらたくさん見逃してきているのかもしれない。私だけではなく、みんな生きているだけで必死なのだ。なぜか、「頑張って」生きなくては幸せになれない、と思っているし、たしかそう教えられてきた。だからか、写真撮ったり、騒いだり、行きたいところへ行ったり楽しんでいるようで、絶えず何かをしていないと次の楽しみなんかこないような、そんなせっつかされたような気持をもって生きている気もする。
コンビニに入っても、洋服売り場に行っても、本屋さんに行っても、駅の改札口を出てモ、心底から機嫌のいい人があまりいない、そんな気がするからそう思える。プライベート以外でも、何かしているだけ、そういう仕事の仕方は、きっと自分を輝かせない。
最近のはやり言葉(?)の「引き寄せ」とはよく言ったものだなぁ、と思う。だって、楽しいことや嬉しいことって、突然降ってやってくるわけじゃないから。自分の心が幸せを感じるように仕向けていかなければ、それを上回る幸せが、いつも手の届かないところにあるままだ。

 

楽しく過ごすために

青空
どうやって、楽しい毎日を過ごせばいいの?自分には明日を楽しむお金も、仲のいい友達も兄弟も、明るい雰囲気の職場さえないんだよ、と問われたら私の答えはこうだ。朝のつかの間の時間を味わう。朝食を楽しみながら頂く。好きな人とちょっとだけ見つめあう。道を譲られたらクラクションでや片手合図ではなく、ちゃんと顏向けてにっこり笑う。そんな日常をまず想像してみてほしい、って。それには、早起きして朝食ー手軽でもいいじゃん、私なんか、クラッカーだけど、体にいいように工夫して美味しくしてる。―を自分にちゃんと「美味しく」つくる、日々習慣化する、朝は一日の出発なのだから大事だ。好きな人って、彼氏・彼女だけではなく、親でも憧れの人の写真でもいいと思うし、なんなら想像でもいい。好きな誰かを想う気持は、かなりの威力をもつ。ドーパミン出っ放しだ。道を譲ったり譲られたりする、所謂「日常に深くかかわらない人」とのコミュニケーションって、案外、その人の人間性がうかがえるものだ。私はいつも、これを目安に人をみているし、自分も誰かを粗末に扱わなかったか、気をつけるようにしている。そんな些細な、それでいて幸せを感じる時間をつかみとりとるようにしながら、抱きながら生きていれば、きっといつのまにか毎日が輝いて生きている、そんな気がするのだ。

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